エコロジーへの違和感

昨日の夕方も768の方を聞いてみた。
全体のトーンとしてロハスだか、スローライフだか、エコロジカルな方向性を目指してる様だった。
オジサンパーソナリティが説教じみたウンチクを語り、
相方の女の子パーソナリティが感心しながら意見を述べる。
まぁ、局の方針を受けた今時な女性誌みたいな内容

だが、オジサンの原理主義じみた自然志向は疑問に思う。

「トウモロコシなんか、五千蒔いて70〜80なんて事もある、無農薬・自然志向で作るから、虫の被害をくぐり抜けてもカラスに持って行かれるから」
と、自分の食べている物の素晴らしさをやや自慢気に語る。


正直に言おう、
偽善で気持ち悪い。


反発する前に考えて欲しい、
同じ事を飢餓地帯の人々の前でも、同じ様に語れるのか?と
私はひとつのトウモロコシからどの程度の種が採れるか知らないが、70もあれば五千を下回る事は無いから問題無い?
もちろん違います。
人が食べる事を前提にしているので、畑の単位面積あたりの供給可能人数を考える必要があります。
五千本の苗を育てるのに必要としたマンパワーを養うのに充分な収穫以上の物が要求されるハズなのに、70〜80では赤字もよいとこです。
が、今の日本ならその貴重性を有り難がって、高額で買い取る人が居るからペイするのだ。


つまり、彼の言っているライフスタイルは、過剰な供給が背景にあるからこそ可能な「贅沢な趣味」だ。


最低限の農薬やそれなりの鳥害対策をしてれば、どれほどの収穫になったか…
それを適正な価格で売る事で、売る側も買う側も余裕が出るので、その余裕分を環境なり貧困なりの対策にまわしてこそ、
ロハスの理念の無理のない共存共栄につながるのではないだろうか?


無農薬などの高付加価値でない作物が、適正な価格での販売が可能かどうかは、また別の問題。